dorifamuの日記

〜番外編ばかりの毎日・感謝の気持ちを忘れないように〜 

悲しみの中で過ごした日々

お題「#この1年の変化

 

令和2年4月7日に発令された

緊急事態宣言。

16日には全国に広まりましたよね。

 

緊急事態宣言が出される前の2月20日

母が救急病院から療養病院に転院しました

 

この時は、まさか

この先、生きて母に会える日が

片手もない事とは思ってもいませんでした。

 

転院した次の日

お仕事の合間に母の顔を見にいきました。

夕方、眠っている母に声をかける事もなく

仕事に戻りました

 

土曜日の午前の仕事を終え

母の所へ行ったのですが

病棟の面会が禁止になっていました

 

療養病院には約2ヶ月

3月には、母の誕生日もありましたが

面会禁止は解けることはありませんでした。

 

転院の日、母のベットのに飾られている

誕生日に撮られた写真

看護師さんに囲まれて

真ん中で笑っている母の姿を見た時に

涙が溢れました

 

4月20日

施設に移るために

やっと、母と再会

母が怒っている様子がわかります

私の顔を見ようとしないのです

 

私に捨てられたと思っていたのでしょう

何故、お見舞いに来ない

母には理解が出来ていなかったと思います

 

目を逸らし、何も言わない母でした

介護タクシーで施設に移動する間も

無言の時間が過ぎていきました。

 

1日がかりで、入所の手続きを終え

母のベットの横で顔を眺め

寝ている母の顔をパチリ

写真におさめて、施設を後にしました

 

施設も初日は母の傍にいる事が出来ましたが

それ以降は面会禁止

何か渡したい物があれば

施設まで持参して、職員の方に預けます

 

入所、4日目

お母さんの容態が・・

恐れていた電話をとりました。

今はまだ、面会は降りない

 

入所、5日目の夕方

直ぐ来てくださいと連絡が入り

バスに乗って施設に向かいました

 

施設までの道のり

こんなに時間がかかった?

心の中は、焦りの気持ちが絶えません

 

・・・、間に合いませんでした

入所の時と同じように 寝ている母

パチリ

写真を撮りました

母の最後の写真

 

スマホの中にあります

いつも、一緒に居られるように

 

 

 

ごめんなさい

親不孝の娘で

最後、看取ることも出来なかった

 

天罰でしょうか

 

次々に襲う悲劇

子どもの病気(現在進行形)

コロナ禍でのクビ(自己都合になっています)

 

今がどん底

まだ、下り坂?

 

この1年、私と同じ様な経験をされた方

お見舞いに行けない方

本当に辛いと思います

 

1日も早く、普通の生活が戻ってくること

それは、皆さんの共通の願いだと思います。

 

 

笑って、笑って、笑って

簡単なようで 難しいけど

ねぇ、笑って

良い事が、訪れますように

 

www.dorifamu.work

 

aichinetto.com

 

今日は職場の頭twoに教えてもらった

笑える歌を

皆さんも聴いて、笑顔だよ

 


Ale Ale Ale (アレ アレ アレ) 森山良子

 

中高年の皆さん、叫喚できません?

お若いみなさん、未来はこんな感じです。

 

では、またね。

 

 

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